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うっかり下関、というか吉田へ。もちろん東行庵へ。
下関の欠片 〜東行忌〜
昨日は高杉晋作の旧暦での命日。
14日は色々浸りたい気分もあり、パソには触れなかった。
先週に引き続き朝イチの飛行機に乗って東行忌へ参加。
う〜ん。子供と壮年初老の方が多い!
ま、微笑ましいっちゃ微笑ましいがこの中で最も不純な神経
しているのが自分なのかと思うと大変な場違い感を感じた。
地元テレビまで収録に来ていた献花・献茶のイベントが終わり
昼頃にはぞろぞろ人が減っていった。
ここでようやくぽつぽつの人影の中空想に耽ってみたり。
この場所に骨があんのか、と感慨深い。
そういや「東行墓」なんだよな。晋作の名でいいのに。
本人はどっちが良かったんだろうなぁ。やっぱ晋作じゃん?
と見ているとお墓の隣の植木は誰のだろうとか気になった。
桂・俊輔・聞多寄進の灯篭の後ろのこれ。
白い実みたいな小花が無数に付いてる。
調べてみたら灯台躑躅(どうだんつつじ)のようだ。
誰が植えたのかなぁ。結構若い木だけど。
東行記念館では東行庵縁の方や地元の方の慰霊会みたいな会を
やっていた。と言っても主催の人が高杉にちなんだ話をするだけ
だが。ここで紹介されたのが高杉から小忠太への「大不幸中の〜」
と書いた手紙と三浦の越ノ雪話とマサの高杉臨終時の話の3つ。
どれも既知のメジャー話なので少しがっかり。
どうせなら眼から鱗!を期待したかった。
前々からいつか越ノ雪を買おうと思いつつ落雁系は食べられない
自分には宝の持ち腐れとしか思えず現実に至っていない。
長岡の物産だし、そろそろ覚悟を決めてお取り寄せせねば。