岡山の欠片 〜木堂塾〜






  14歳で自宅に塾を開く。
  とりあえず現代じゃどんな天才でもありえませんね。
  IQ200あろうが自宅で一般人相手に塾は開かない。
  でもこの時代はこういうのが罷り通るっつーか、学才の
  ある人の糧を得る手段としては常套だったのだから不思議。



  ところでこの「木堂塾」当時のものではない。
  まぁ、犬養が木堂という号を使い出したのが慶應以降なので
  当然なのだけど、塾を開いた時は何て名前だったのかな。
  塾というか寺子屋みたいなものだったらしいけど。


  看板や名前こそ後のものだけど、塾のあったのはこの場所
  だったという。中を見ることは出来ず残念。
  百周年などの記念事の際は開かれたりするみたい。



  この塾時代の犬養の事はなかなか調べられないのだけど、
  いつか詳細極まる資料なんか見つけたいなぁ。